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大阪高等裁判所 昭和54年(う)720号 判決

控訴人 被告人

被告人 中貝仁勇

検察官 北側勝

主文

原判決を破棄する。

本件を大津地方裁判所に差戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人武川襄、同植山昇連名作成及び昭和五四年六月一四日付被告人作成の各控訴趣意書並びに弁護人三木俊博、同松井忠義作成の控訴趣意補充書(同補充書二項ないし四項において刑事訴訟法三七八条二号、三号、四号、三七九条、三八〇条を援用して主張するところは、裁判所の職権判断を促し、かつ事実誤認の事情として主張するものである旨釈明した)に記載のとおりであり、これらに対する検察官の答弁は、検察官北側勝作成の答弁書及び補充答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  弁護人武川襄、同植山昇作成の控訴趣意書一項の2の主張について

論旨は、昭和四五年三月二三日施行の原審第六回公判期日において、原裁判所は、刑事訴訟法二八六条の二を適用し、被告人不出頭のまま証人調を行つたが、当時被告人は、頭部外傷の後遺症のため頭痛、発熱がひどく、強度のノイローゼ状態にあり、肉体的にも精神的にも公判期日に出頭して正常な防禦活動を行える状態ではなく、このことは再三原裁判所に上申していたのであるから、右期日における被告人の不出頭には正当な理由があり、被告人不出頭のまま公判手続を行つた原審の訴訟手続は刑事訴訟法二八六条に違反しており、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで記録を調査すると、被告人は、原審第六回公判期日以前から再三肉体的、精神的不調を訴え、右期日についても適切な防禦活動を行える状態ではないとの理由で出廷拒否の意思を表明していたが、原裁判所は、刑事訴訟規則一八七条の三、四の手続を経て刑事訴訟法二八六条の二を適用し、被告人不出頭のまま公判手続をすすめ、同期日に予定されていた証人田端悦子の尋問を行つたことが認められるところ、精神科医師藤重直彦作成の昭和四五年三月六日付診断書、滋賀刑務所医務課長医師大串直太作成の同月七日付診断書によれば、当時の被告人の健康状態は、公判期日に出頭し、弁護人と協力して適切な防禦活動を行うことの困難な状態ではなく、被告人の同期日への出頭拒否には正当な理由がなかつたことが明らかであり、かつ裁判官今中五逸作成の同月二〇日付「出廷の勧告」と題する書面、滋賀刑務所長兒山久夫作成の同月二三日付「出廷拒否の状況報告について」と題する書面によれば、被告人は、原審裁判官及び刑務官による再三の出廷勧告を無視して右期日への出頭を拒否し、実力により出頭させようとした刑務官の手を払いのけるなどし、もつて監獄官吏による引致を著しく困難にした事実が認められるから、刑事訴訟法二八六条の二を適用し、被告人不出頭のまま同期日の公判手続を行つた原裁判所の訴訟手続は正当であつて、所論違法のかどはない。論旨は理由がない。

二  弁護人武川襄、同植山昇作成の控訴趣意書一項の3の主張について

論旨は、昭和四五年四月一〇日施行の原審第七回公判期日において、証人浅田善次郎ほか二名の証人尋問が行われたが、当日は、法廷内外の騒音が著しく、証人の証言を聴取することすら困難であつたうえ、被告人は、頭痛、耳鳴り、発熱等の症状が激しく、証人の証言内容を理解して適切に防禦権を行使することができない状態にあつたから、このような状態を看過してなされた同期日の証人尋問手続は、被告人の証人尋問立会権を実質的に侵害したものというべく、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら記録を精査しても、所論第七回公判期日の法廷が、内外の騒音のため証人の証言を聴取することが困難な状況にあつたことをうかがわせるものはなく、また被告人は右期日の前後を通じ再三心身の不調を訴えてはいるが、当時被告人が証言内容を理解し、防禦活動をなし得ないほどの健康状態であつたことをうかがわせるものもない。右期日の公判調書をみても、被告人、弁護人から証人尋問の方法、訴訟指揮等についていかなる異議も申立てられた形跡はなく、被告人の昭和四五年四月一五日付上申書(昭和四五年四月一七日受付(日)第三九八号)においても、被告人は右期日に実施された証人尋問に際しての弁護人の尋問が不適切、不充分であると不満を訴えているが、所論のような主張はしておらず、証人の証言内容を充分理解したうえで弁護人の反対尋問の不適切、不充分を訴えていること、右上申書によれば、同期日の証人尋問に先だつて詳細な尋問事項書を弁護人に提供していること、また同月一六日付裁判官忌避申立書において、右期日における裁判官の発言等にも言及して原審裁判官の訴訟指揮を非難しているが、ここでも所論のような主張は全くしていないこと、本件審理を通じて被告人がその心身の状況について訴えるところと、再三にわたつて行われた医師の診断結果がいずれも被告人の訴えるほどのものではなかつたこと等に徴すれば、所論第七回公判期日における法廷の状況及び被告人の心身には、証人の証言を聴取してその内容を理解し、適切な防禦活動を行うことを妨げる事情はなく、これをなし得る状況にあつたものと認められる。所論は前提を欠き失当である。原審第七回公判期日の訴訟手続に所論違法のかどはなく、論旨は理由がない。

三  弁護人武川襄、同植山昇作成の控訴趣意書一項の1、弁護人三木俊博、同松井忠義作成の控訴趣意補充書一項の主張について

論旨は、本件は、弁護人なしに開廷することができない必要的弁護事件であるのに、昭和五四年二月二二日施行の原審第二六回公判期日において、弁護人不在のまま開廷し、実質審理を行つた原裁判所の訴訟手続は、憲法三七条三項、刑事訴訟法二八九条に違反しており、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点で原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで当審における事実取調の結果をも参酌して記録を精査するに、被告人に対する本件公訴事実は刑事訴訟法二八九条の定める必要的弁護事件であるところ、原裁判所が原審第二六回公判期日において、弁護人不出頭不在廷のまま公判手続を行うに至るまでの審理経過は、原判決がその理由中に、「(本件公判手続について)一本件公判審理の経過について」と題して詳細に判示するとおりであると認められる。

そして右の経緯から、原裁判所は、「被告人は何ら正当な理由がなく、まつたく恣意的に公判への出頭を拒否し」「裁判所が選任した国選弁護人に格別の落度はないのに、その弁護活動を非難して不信頼を表明し」「いわば弁護人に辞任を強要し、弁護人をして出廷不能の心境に追い込んでいると評価せざるを得ない」「被告人の言動から弁護人が遂に出頭しようとしない気持も理解できないわけではなく、辞任を申出て出廷しなかつたのは被告人の責に帰すべき事由によるもので、これによつて生ずる不利益は被告人自らが甘受すべきものである」とし、「必要的弁護事件においても、弁護人が出頭せず、そのことに被告人に帰責事由があるとき、なかんずく被告人が必要的弁護制度を濫用して訴訟の遅延をはかり、自らも出頭拒否を重ねているような場合、被告人の恣意により、裁判所が国民から付託されている裁判権の正常な活動が著しく阻害され、あるいは裁判制度が否定される結果になることを防止するため、やむを得ず、必要な限度で、刑事訴訟法二八九条の例外を認め、弁護人不在廷のままで審理することが憲法、刑事訴訟法等の法秩序全体の精神に照らし、また刑事訴訟法二八六条の二、三四一条の類推適用により許容される場合がある」との法解釈に基づき、「本件にあつては、被告人に対する理性的な説得もその効がなく、被告人のかたくなな態度は一向に改められないで、裁判の進行を阻止する目的をあらわにして、明らかに刑事訴訟法二八九条を著しく濫用するに至つているといわざるを得ない」「このような事態において、(刑事訴訟法二八九条を)そのまま適用したのでは裁判制度上の他の正当な要請が甚しく害され著しく正義に反することとなり、同法条を適用しないことが例外的に許される場合」であると判断し、弁護人不出頭のまま同期日の公判手続を行つて審理を終結し、これに基づいて第二七回公判期日に原判決を宣告したことが原判文に明らかである。また記録によれば、右第二六回公判期日に原裁判所が行つた訴訟手続は、被告人不出頭のまま開廷するについての刑事訴訟規則一八七条の三、四の手続、同日検察官から証拠申請のあつた被告人の身上照会回答書及び前科調書の採用取調、同期日に喚問していたが健康状態を理由に「高血圧、貧血症、胃腸炎により約一か月の安静加療を要す」との診断書を添付した不参届を提出して出頭しなかつた原判示第三事実の罪体並びに情状に関する証人中貝富貴子の採用取消、検察官の論告、求刑、次回公判期日(判決宣告期日)の指定告知であつなことが明らかである。(なお第一九回公判期日において、原審弁護人から、原判示第一、第二事実について一応の被告人質問が行われ、同第三事実についての質問は次回に続行することとされたが、前記の経緯でその後被告人が出頭せず、未了に終つている。)

そこで原裁判所の右訴訟手続の当否について検討する。

刑事訴訟法二八九条の定める必要的弁護制度は、被告人の利益を擁護するとともに、公判審理の適正を期し、もつて国家刑罰権の公正な行使を確保するため、一定の重罪事件について、被告人に弁護人による弁護を受ける権利の放棄を認めず、これを強制する制度であり、被告人に弁護人がないか、もしくは弁護人が公判期日に出頭しない場合には、たとい被告人が拒否しても裁判所は弁護人を付さなければならず、選任された弁護人は弁護を尽すべき義務がある。原判決、「(被告人は)弁護人に辞任を強要し、弁護人をして出廷不能の心境に追い込んでいる」「被告人の言動から弁護人が遂に出頭しようとしない気持も理解できないわけではなく、辞任を申出て出廷しなかつたのは被告人の責に帰すべき事由による」として、必要的弁護事件において、弁護人の辞任申出、不出頭について、被告人に帰責事由がある場合にも弁護人の出頭がなければ開廷できないとすると、被告人の恣意により裁判権の正常な活動が阻害され、裁判制度が否定される結果になる、という。なるほど本件の訴訟過程における被告人の言動、とりわけ原審国選弁護人に対し、いわれなき非難、誹謗を加えて辞任を要求し、裁判所に対しても繰り返しその解任を求め、これが容れられないことなどを理由に自らも出頭を拒否している態度は、まことに不当なものであり、当裁判所とて、辞任を申立て公判期日に出頭しようとしない同弁護人の「気持」は理解できないわけではなく、同弁護人の辞任の申出、公判期日不出頭については被告人に帰責事由があり、前示本件の審理経過に見られるような被告人の態度は審理拒否、訴訟遅延を企図するものと評されてもやむを得ないものではある。しかしながら、記録によれば、原審弁護人が原審第二六回公判期日に出頭しなかつたのは、被告人に出頭を阻止され、あるいは同弁護人が被告人と結託して訴訟の進行阻止を企図したものでもなく、被告人の基本的立場と相容れない行動をとることが弁護人としての信義に反して許されず、被告人と弁護人との信頼関係が欠如し、被告人が弁護人の辞任を要求しているような状態では弁護人としての任務を果たせず、かかる事態は国選弁護人を辞任すべき正当な理由がある場合にあたり、かつ国選弁護人は辞任届を裁判所に提出することによつて当然にその地位を離れるとの独自の法律的見解に基づくものであつたことが認められる。もし原審弁護人の右見解が正しいとするならば、本件のごとき場合において刑事訴訟法二八九条を厳守することは、原判決の危惧するとおり、被告人の裁判拒否を容認する結果となりかねず、そのような事態はとうてい法の容認し得ないところであるから、いきおい刑事訴訟法二八九条の例外を認める法理を求めなければならないであろう。しかし国選弁護人の解任は裁判所の権限であり、国選弁護人が辞任の申出をした場合であつても、裁判所が辞任の申出について正当な理由があると認めて解任しない限り弁護人はその地位を失うものでないことは、昭和五四年七月二四日最高裁判所第三小法廷判決の示すところであり、原判決もこれを是認するとおりである。本件において原審第二六回公判期日当時国選弁護人武川襄、同寺下勝丸はいずれも原裁判所に辞任届を提出していたが、原裁判所は、両弁護人の辞任の申出には正当な理由がないとしてこれを解任しておらず、したがつて両弁護人ともいまだ弁護人の地位にあつたことは記録に明らかである。そして本件訴訟の経緯に徴すれば、被告人の両弁護人に対する解任要求は、まさに恣意的・専断的忌避というべきものであり、原判決も「もはや誰が国選弁護人として就任するも被告人の意に満たない結果となつている」と指摘するとおり、右両弁護人を解任して新たに別の弁護人を選任しても意味のない状況にあつたと認められるから、被告人の原審弁護人に対する不当な言動にもかかわらず、同弁護人の辞任の申出には正当な理由があるとはいえないとして同弁護人を解任せず、同弁護人が、辞任を申出て、以後の公判期日への不出頭の意思を表明したのに対し、本件が必要的弁護事件であることにもかんがみ、態度を改め公判期日に出頭して弁護を尽すよう求めた原裁判所の措置は正当である。そうだとすれば、原審弁護人は、いかに被告人からいわれなき非難、誹謗を加えて辞任を要求され、弁護人として弁護活動をすること自体が被告人の意に沿わないことであつたとしても、公判期日に出頭して可能な弁護を尽すべき義務があつたというべきである。単に被告人の協力が得られないだけでなく、被告人からあからさまに不信頼を表明され、いわれなき非難、誹謗を浴びせられているような状態では、被告人の信頼と協力のもとに行われる弁護活動と同じ程度のものは、もとより期待すべくもないが、弁護人は、被告人の正当な利益の擁護者であつて、被告人の主観的利益の単なる代弁者ではないのであるから、被告人の主張、要求するところが不当なもので、それに固執することが被告人に不利益な結果をもたらすと考えられ、その旨被告人を説得しても被告人がこれを聞き入れないような場合には、被告人の意思に拘束されず、被告人の正当な利益を擁護するため独自の弁護活動を行うことが要求されているというべきである。訴訟手続に理解がなく、あるいは性格の偏りが強く、自己の不当な主張、要求に固執するような被告人にこそ弁護人による弁護はより一層必要であり、被告人の協力が得られず、かえつて被告人が弁護人を拒否している場合においても、被告人の正当な利益を擁護するため可能な限りの弁護を尽すことこそ刑事被告人に実質的に有効な弁護を保障するゆえんであり、それが一面において審理の適正を期し、国家刑罰権の公正な行使を確保するゆえんでもあつて、必要的弁護制度を設けた趣旨は、まさにここにある。被告人が拒否しても弁護人による弁護を強制する必要的弁護制度を設けながら、選任された弁護人が弁護を尽さないことについて被告人に帰責事由がある場合には、弁護人による弁護を与えなくてよいとするのは背理である。被告人の言動がいかに不当なものであろうとも、弁護人が出頭して弁護を尽す限り、被告人の不当な言動によつて、原判決のいう裁判権の正常な活動が阻害され、裁判制度が否定される結果になることはなく、それが可能である限り、弁護人の不出頭について被告人に帰責事由があるからといつて、刑事訴訟法二八九条の例外を認める根拠とはなり得ない。本件において原審弁護人が辞任の申出をして公判期日に出頭しなかつたのは、被告人の不当な態度、要求に由来するものではあるが、直接的には必要的弁護制度並びに国選弁護人制度についての同弁護人の誤つた理解に基因するものであつて、被告人の言動にもかかわらず、同弁護人が公判期日に出頭して弁護を尽すことを妨げる事情はなかつたのであるから、同弁護人さえ右の誤解を正し、その義務を尽せば、原判決が危惧するような結果を招来するおそれはなく、被告人の態度、要求がいかに不当なものであり、原判決がいうように、審理拒否、訴訟遅延を企図するものと評価され、同弁護人の辞任申出、不出頭について被告人に帰責事由があるとしても、そのことは必要的弁護制度の例外を認めるべき根拠とはならない。また必要的弁護制度の趣旨、被告人と弁護人の訴訟における地位役割の相異に徴し、かかる場合に弁護人について刑事訴訟法二八六条の二、あるいは同法三四一条の類推適用を論ずる余地は存しない。そうすると、原審第二六回公判期日に弁護人不出頭のまま実質審理を行つた原裁判所の訴訟手続は、刑事訴訟法二八九条に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点で原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつてその余の控訴趣意について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、なお審理を尽させるため同法四〇〇条本文により本件を大津地方裁判所に差戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中武靖夫 裁判官 吉川寛吾 裁判官 西田元彦)

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